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冬の大特集 森山直哉の世界 ⑤

ついに、きちゃった。

猫族です。

僕、ライブ感覚で書いてますんで、頑張ります。文章多めになる……と、思う……。

書けるのか、俺!

●ゴジラ(1984)

HJEX 1989年 秋の号「怪獣大進撃」

原型 原 詠人 海洋堂 ソフトビニールキット

↑この写真だけでなく、ページレイアウトも、その色味も含めて思い入れがありすぎるため、このような引用とする。

84ゴジラではない。

「新ゴジ」であり、

「New Godzilla」※1

「ニューゴジラ」

である。

以前にも書いたように、拙ブログでは分かり易く伝えるために84ゴジラの呼称を用いるが、やはり1984年の「ゴジラ GODZILLA」に関しては、「新ゴジ」がしっくりくる。

極端な話、「新ゴジ」はゴジラ映画ではない。

土着的ともいえる昭和のゴジラ映画は、メカゴジラの逆襲で終了した。

一度その歴史を終えたキャラクターに、「SF映画」のテイストを加味して作られた東宝版「モンスタームービー」ともいえる存在である。

その後、平成ゴジラシリーズとして「VSビオランテ」以降、新たなゴジラ映画が開始されてゆくが、この作品に関しては、一個の独立した特殊な世界観と立ち位置を持つ。

昭和29年のゴジラの続編という設定を持ちつつも、その境界線はあまりにも曖昧であり、むしろこの作品以前のすべてを「なかったことにする」雰囲気に満ち満ちているのだ(故に『初代ゴジラのスチール写真』は、劇中、最も異質なポイントとなる)。

この独特の異様、作品としての立ち位置を踏まえられた造型は、原氏の一連、速水氏の作り起こし、ダイモス中井氏のラテックスモデルであろう。

いずれも劇場公開時、ないしは数年以内に造られたものである。

森山氏のこの改造作例の元となった原氏の30㎝ソフトビニールキットは、サイズ、造型力に加え、なにより80年代という時代性すらも内包した、新ゴジ造型のベストモデルといえる立ち位置にある。※2

↑原型となったモデルもまた、新ゴジ造型の傑作なのだ。

そのベストモデルとも言えるキットを、原型を留めぬほどに改造し、かつ、ある意味においては元キットを完全に凌駕した恐るべき作例がこの作品である。

最も特徴的なのは重心の移行であろう。

↑ウネリあがるようなラインを描き、前方にヌケる、原モデル。

原氏のモデルは、右脚からうねるような絶妙な流れを伴い、頭部鼻先から前方に抜ける。

新宿中央公園でハイパーレーザービームに挟まれるスチール写真の佇まいも垣間見えるが、基本的にはイメージ造型、ポーズである。

そのポーズも「新ゴジらしさ」に溢れた、非常になまめかしいラインを描いている。※3

一方、森山氏のモデルにおいては、重心の移行に伴い、三角を描くアウトラインの中心部に重心を集中させていることがわかる。

新ゴジ造型の最も重要なポイントであると思われる三角的なアウトラインがこの重心移行に伴い、全面に現れているのだ。

新宿中央公園進撃時の、一連のシーンイメージに最も忠実である。

↑森山モデルの素晴らしさは、その重心の安定と、新ゴジ特有のアウトラインの再現にあると言えよう。

どのアングルから見ても美しい三角を内包する造型であり、見事なまでに、「劇中で観た」新ゴジなのである。

原モデル、森山モデル、どちらも甲乙つけがたい良さがあるが、ストレートな格好良さ、加えて、劇中のイメージ再現という点においては、圧倒的に森山モデルに軍配が上がる。

各角度から数多く撮られた特写スチールもまた、その事実を非常に効果的に伝えている。

↑スモークが焚かれた「超・高層の未来都市」に佇む新ゴジの劇中イメージを再現した、完璧な一枚。新ゴジのイメージを最も的確に再現したモデルたる所以である。

サイドに勝るとも劣らないほどに、素晴らしいのがこの角度だ。骨格レベルで変わりきっており、改造という範疇を完全に超越していることも分かる。

新ゴジのアイラインの鋭さ、頭部から肩に流れる特有のライン、下半身のダブついた肉付きを完ぺきに表現しつつ、格好良く纏められており、その美しさにため息がでる。ひとえに森山氏のセンスのなせる業である。

これ以上に素晴らしい新ゴジ造型を見たことがない。

↑新ゴジは、青から赤に変わってゆく画面と構成が非常に特徴的な映画である。

劇中と全く同じ紅色の照り返しが美しい。試しにこの写真の大部分を隠して視て頂きたい。

写真の一部だけからでも、「新ゴジ」だとわかる。

ガレージキットの素晴らしさを図る尺度には様々あると思うが、先述した時代性の面においても、この作例……いや作品には意義がある。

89年以降の84ゴジ造型には(送り手、受け手の双方に)どうしても平成ゴジラに至る「経過点」の感覚が出来てしまう。※4

「特異点」であった「新ゴジ」はその後の大量生産されたゴジラ映画のなかで「経過点」、あるいはターニングポイントとなってゆく。

したがってその当時の空気感をパッケージングしているのは84年から89年暮れまでの出版物、モデルとなる。※5

つまるところ、ビオゴジ公開「前」の時期にギリギリ「間に合った」、最後の新ゴジ造型という側面、意義をも併せ持つということだ。

このモデルに関しては個人的に思い入れが強すぎ、冷静な判断がもはやできていない。上手く伝えきれたどうかの判断も、正直、出来ない。

ただ、この新ゴジに対する自身の熱意、そして、この作品が模型誌作例のフォーマットを完全に逸脱した「ある種特別な造型物」であるという事実だけは、お伝え出来たのではないかと思う。

その立ち位置もまた、新ゴジらしい……といえるかもしれない。

失礼を承知で、最後に個人的な思い入れを書かせていただきたい。

幼馴染と恐竜博に行った帰路の東京観光、「空想雑貨」店内にて読んだHJEX。それがこのモデルとのファーストコンタクトだった。

1990年。小学校5年生の夏休みのあの日、東京の空は快晴だった。

その蒼に重なる空の色が、稀にある。

梅田の高層ビル群にてその蒼を目にするたびに、超・高層のビルの谷間にこの「新ゴジ」が視える。

俺は、あの日から、そんな30年間を送ってきた人間なのだ。

※1 公開時期発売分のビデオ、LDパッケージ裏表記より。

※2 事実、新ゴジ自体、原氏のリアルホビー初代の韻を踏んだ存在であるし、氏の都会的な作風は新ゴジにはよくマッチしている。

各種サイズで精力的に造型され、そのいずれもが傑作であるが、30センチでのサイボット造型がなかったことのみが悔やまれてならない。

※3 加えて、同社キットの初代ゴジラにおいてはネックですらあった口可動分割が、このキットに関しては寧ろ非常に効果的に作用している。口の開閉双方ともに、新ゴジとしか言いようのない絶妙な表情を醸し出す。

重ねて言うが、このキット自体も新ゴジ造型における「名作中の名作」なのである。「ゴジラ GODZILLA」という映画自体を1つの造型物として落とし込んだような存在である。

長年手元に置き、眺めていても、全く飽きがこない。カリカチュアモデルとして完璧なのであろう。

ガレージキットのガレージキットたる所以である。

※4 これはもう、怪獣好きである以上は、仕方がない事なのであるが……。この時代の「空気」と、90年代の「空気」は、観測地点によってまるで異質に映る。同じ世界軸上に、自身が生きているとは思えなかったのも事実。

※5 それゆえ、84年から89年までに最も多感な時代を過ごしていないと、この感覚は伝わりにくいかもしれない。

あの5年、は永かったのだ。

怪獣ガレージキット

ヒストリー

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