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HJは後ろから読んだ。

前回の赤紙記事での予告通り、「90年代の」HJ本誌について書きたい。

●やっぱり、HJ誌の広告には思い入れあるよね。

ネットの無い時代の最高の怪獣GK情報源は、間違いなくHJ本誌だった。 そもそも80年代から特集、広告ともに、怪獣ガレージキット文化の牽引役を担っていたのがHJ誌と言えるだろう。

そして、90年代初頭のバブル期に、その役割もピークに達する。

下手をすれば紙面の1/4を占めていた膨大な広告。

今日はそんな時代の、そんな広告のお話。

●まず、後ろからめくったよね。

↑ 俺、線入れてるぅ…久々に見てチョット引いたわ(^^;

まず、この広告を見てほしい。某カタログ広告であるが、膨大なアンティークトイの中に、まれに怪獣ガレージキットが紛れている。

これらを一気にチェックする。

この広告を打っているショップでは確か「25日から通販電話受付けます」とあった気がする。

なんだか、25日に勝負みたいな空気があった。

●新作情報も、もちろん楽しみ。

↑これ、8と9間違えてないか…と誰もが突っ込んだであろう。でも大好き。

発売日である25日。津市の駅前の本屋さんに飛び込み、ドキドキしながら後ろからページをめくった日を、昨日のように思い出す。

ついでに言うと「これ、84じゃねーか!」って衝撃もな…。※1

●安定の通販広告。

この時期(90年代初頭)には、ガレージキットの卸売りも安定供給されており、同時に大手模型ショップの広告や、そのフォーマットも確立されていた。

この辺りが、80年代HJとの最大の違いである。※2

広告的にも、「西のほびっと、東のスズキ模型」の2大巨頭というのが当時のイメージだ。

ほびっとにはよくお世話になった。この広告ページを見るだけで多幸感に襲われる方も多数いる筈…。

●海洋堂といえば、黒の広告ページだよね。

海洋堂、ボークスに関しては、80年代から安定したデザイン、数ページにわたる大広告、と大手メーカー感が非常に強い。

特に海洋堂のこの黒ベースのデザインは90年代には完全に定着しており、海洋堂というとこの広告ページを思い起こす方も多いと思う。

90年代中ごろのエヴァ旋風くらいまでは基本的にこのスタンスだった。

ボークスは白地、独特の煽り文が実に特徴的だ。

●怪獣ガレージ広告、90年代最大の衝撃。

この時期、すでに多くの怪獣キットは、大手メーカーでキャラクターキットとして生産されるものに変わり果てていた。

90年代前半は、云わば「ガレージキットがキャラクターキットに変化した時期」であったと言えるだろう。

そんな最中の93年。

トリアーデの広告が突如、出現する。

 ↑広告レイアウトもまた、素晴らしい。

大袈裟ではなく、90年代で最もガレージ魂を揺さぶられるものだったと思う。

特にこのイカルスに関しては、この数センチにも満たない写真から溢れるガレージ魂に心揺さぶられた。

「これぞガレージキットだ」と、心の底から思った。

歌謡曲しか知らなかった少年が、キングクリムゾンを知った衝撃のようなものだろうか。※3

トリアーデについては色々な思い出があるが、あまりにも長くなるため、省く。

●「読交欄」チェックも忘れずにね。

  ↑ 今のご時世では御覧の通りのモザイク処理である。

これは個人広告、となるのかな。

ネットがない当時は、絶版キット収集のお役立ちツールだった。

「ゆずる」方は、ハガキでのオークション形式(!)、カタログ送付します、往復はがきで問い合わせ…など。

「もとむ」方は、海洋堂原氏の初代ゴジラリアルホビーサイズを○○○○円程度で…など。

だいたいこんな感じである。※4

僕はよくカタログを取り寄せいていたが、送られてきたカタログもまた多彩であった。

コンビニコピーの文字情報だけのものから、写真付きのやたらデザインの凝ったもの、L版写真のアルバム(これは完成品販売の方に多かった)まで、様々である。※5

価格は一様に高く、中学生には到底手が出せないものが殆どを占めていた。※6

時代と共に、怪獣ガレージもまたバブル期だったのだ。

●さいごに

今思い返してみても、「手軽さ」とは程遠い。

ひとつのキットを手に入れるためにかかる労力、時間、期待…。

どれ一つとっても、あまりに多く、長い。

しかし、これら要素すべて、ひとつのキットへの「思い入れ」や「こだわり」に繋がっていたようにも思う。

そんな時代だった。

※1 このラドゴジは「超獣伝説」の方が発表が早かった気もする…。まぁ、載せたかったってことで勘弁してください。

※2 80年代については膨大すぎるので、こんな感じでは到底纏めきれない。次回以降、各キットごとに書きたい。

パラダイス広告についても別枠で纏めるべきだろう。

※3 僕はクリムゾン世代じゃないからわからんけど。

東宝系キットに関しては、この後も、浅井造型の登場まで気の遠くなる程待たねばならない。うぅ…東宝氷河期…。

※4 この手の個人広告は、当時の専門雑誌にはよく見られたコーナーではある。ちなみに、このコーナーのみを雑誌にしちゃったのが後のクアント誌だ。

※5 全体的に高めだった値段設定も、共通基盤がほぼ存在しなかった為、個々人でかなり適当に付けていた印象。これは後年、ヤフオクの登場と浸透に伴って、統一されていく。

※6 しかし、行きつけのショップなどの「プラットホーム」がない地方の一少年にとっては、ここで知り合った方たちの情報が「この世界」のすべてだった。 それでも、電話や往復はがきを通じて、様々な情報を、いや、それ以上に「熱意」を共有しあえたことは、まさに「交流」であったように思う。

怪獣ガレージキット

ヒストリー

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