november, 2019 ③「ブレランのニーゼキ」さん
ブレランといえば、ニーゼキさんだ。ニーゼキさんにはお世話になった。
HJ誌やクアント誌を見て、ファンクラブに入ったのが99年。クソ田舎の高専の寄宿舎を出る直前の頃だったと思う。
「ブレランファンを『ブレラニアン』って呼び合うのか!」などと、19歳の僕は感動した。
それから数年間、僕はよく引っ越しをしたし、ニーゼキさんもちょいちょい引っ越ししていた。
大阪に移ることを「俺はブラックレインの街に住む」と言っておられたのを記憶している。
ニーゼキさんは、ブレードランナー絡みでさえあれば、雑誌の切り抜きひとつまで収集しておられた。
↑おそらく小阪氏による1/6デッカードの頭部のリキャストを用いたであろうカスタム・フィギュア。スポーンから始まったファッションフィギュア・ブームは少し落ち着きを見せかけていたものの、まだまだ99年はカスタム・フィギュアなんて言葉がファッション誌に載るような時代だった。この切り抜きもニーゼキさんに提供させていただいた。
僕もファッション誌界隈で見つけたカスタムフィギュアの写真を数点、加えて久石譲が作曲したブレラン曲(歌入り・笑)の収録されたCDを提供させていただいた。
ブレラニアン合宿には参加できなかったが、大阪の飲み会には参加した。最年少の僕に、ニーゼキさんをはじめとした先輩方は皆、優しかった。
当初、Amebroでブログ「ハイカラスター金曜クラブ」を始めたのも、「ニーゼキさんがブレランのデータベースブログを作っておられる!なら俺は新ゴジのデータベースを作ろう!」と思ったからだ。※
続編が公開される直前に、ニーゼキさんはお亡くなりなった。
件の「久石譲のブレラン曲、データベースに載せていい?」というメールが最後のやり取りになった。
データベースは未所持なのだが、もし載っているのであればそれは僕が提供したものだと思う。
↑ 御礼に頂いたと記憶しているスターログ。
この20年で、ブレードランナーは「映画秘宝別冊」がバカ売れするくらいまでに、市民権を得た。
だが、僕がブレードランナーが好きなのはその情報の得にくさ、猥雑さにあったように思う。
出所の分からないブートレグCDの山に、カスタム・フィギュアや無版権フィギュアの数々。
まさにゾーラを探してリドリーヴィルを徘徊するデッカードの如く、足で情報を集めるしかなかった、最後の時代。
2019年より、1999年。
実はあの時代の方が、世界はブレードランナー的アトモスフィアを纏っていたのではないか。そして、手元に残るニーゼキさんからの封筒を見るたびに、あの世紀末の冥界風景を思い出すのだ。
※ その後、殿のひと言でサイボットゴジラのフルスクラッチに取り掛かり、1年かかって完成、キット化、モスゴジ、クラバート・ガレージ設立……と流れてゆくが、当初のコンセプトは「新ゴジのデータベース」だったのだ。